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サイゴン南洋学院について

1: MISO 2007年11月15日 20:08 報告
第2次世界大戦中のサイゴンに日本が作った「南洋学院」のことです。

 同校の所在地は現在のホーチミン市内のどこなのかご存知の方いらっしゃいますでしょうか?現在でも校舎が残っているそうなんですが・・・・

写真だけは見つけたのですが、場所がわかりません。
http://www.vietnamguide.com/newsdetail.php?cat1ID=37&cat2ID=75&catID=1&newsID=468

どうかよろしくおねがいします。

みんなのコメント 46

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そうそう♪♪♪♪

現在、
日本と、米国と、ベトナムの三國は、比較的良好な関係なのだヨーン♪♪

しかしして、かっては、それぞれが骨肉の争いを繰り返したニョだ♪♪

米国が、マッカーサーが、
もう少し早くから、他の二国の「良さ」に気付いて、

逆に何処が「胡散臭い」かを、見抜く力が あればと、

彼ら自身も、思ってるだリョーね??
南洋学院は当時、日本の文部省の試験に合格した、15歳?17歳の若者が、船で何日もかかってベトナムへ渡り、ベトナムで日本の技術や知識を広めるため、実在した学校です。
航海の途中で、座礁し、沈没した若者もいたそうです。

当地で、慣れないフランス語を学びながら、現地の人と作物を植えたり、さまざまな経験を積みました。

しかし、まもなく日本の敗戦が決まり、終戦を迎え、わずか3年ほどで若者たちは日本へと戻ります。

その方達は、生存していれば、90才近くになります。
定年を迎え、若かりりし頃過ごしたベトナムで現地の方々にもずいぶんお世話になったようで、恩返しの為に建てたのが、「南洋学院 日本語学校」です。

私の父もその一員でした。
NOPSさん

1945/08:日本降伏
1945/09:英軍がグルカ兵を引き連れて、ヴェトナム南部の日本軍武装解除開始
    英軍は、降伏した日本軍に、武器を渡して治安維持をさせる
1946年始め:(月は、わからない)イギリス軍部隊は撤退。
1946/03:中国国民党軍撤退
1946/12:フランスとヴェトナムの戦争がはじまる。
 この戦争では、外人部隊が主力。
 (フランス軍は士官不足のため、それまで敵国だったドイツに士官経験者を求める)
1954/05:ディエンビエンフー陥落

ドイツ人については、1946年以降のことです。
外人部隊については、柘植久慶氏の本に詳しく記載されています。
確かに、レス各自が時系列や史実の整理が、イマイチ出来てない感もするが、確かに興味あるゾイ!
1967年に書かれた歴史本では、1945年9月13日に日本軍の武装解除に到着したのは
グレイシー司令官に率いられた英軍とグルカ兵、同時にフランス軍の先遣隊なはずで、ドイツ軍人はいったいどこから来たのかね。
キシさん

不動火災の資料を紹介していただけますか?
ヴェトナム再占領時には、ドイツ人戦犯が主力だったくらいだから
捕虜も投入されても、おかしくないですね。
亀山哲三の『南洋学院』に
南洋学院の関係者が、戦後、フランス外人部隊に入隊した記述は
詳しく載っていますか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その記述は無いけど、著者戦後サイゴンの不動火災に世話になってたんだよね。
その時の話で、道歩いてたらドイツ人の軍人に呼び止められた話はあるよ。
ベトナム再占領の時に捕虜のドイツ人投入したみたい。外国人部隊といえば外国人部隊だよね。
かつて総合大だったほうって、自然科学大じゃないの
あのへんの地理ややこしい
師範学校のほうだよ。
日経の国際版をとっているとおまけ?でついてくる「NIKKEI GALLARY」の11月号(Vol.64)に南洋学院の記事が写真付きで載ってましたよ。知り合いの日経購読者に聞いてみると良いかもしれませんよ。まだ持ってるかも。もしくはOCSに問い合わせるとか。
亀山哲三の『南洋学院』に
南洋学院の関係者が、戦後、フランス外人部隊に入隊した記述は
詳しく載っていますか?
普通に考えてですね・・・・・

日本が国として税金を使って運営している機関のほうが、MISO氏の所属するそこらへんの日本語学校よりも、はっきりちゃんとした存在です。

またそのような国の機関に日本から派遣されてきているひとは、これもそこらへんの日本語学校のスタッフとは、段違いに学識の高いひとです。そんなことは誰だってわかります。

いったい何があなたにそんなに大きな自信を持たせるのか知りませんが・・・・・・

われわれ日本人の税金で運営されている機関のことを、「別にJVCCは日本人が頼んで作ったものではないでしょうし、正直言って役に立っているとは到底思えません。まさに「インチキ」な国際交流の権化みたいなもんですな」

その機関のスタッフの学識でかかれたものを、「こんなもん作るのに税金使っているかと思うと、正直なさけなくなります」

ですか。

しかも今これから調べごとをしようとしてるだけの、あなたの見識で、こんな罵倒めいたことを書き込むわけですか。開いた口がふさがりません。あなたの書き込みを読んだJVCCのひとたちも、さぞかし気を悪くしたと思いますよ。あなたには、そこに気が回らないのですね。

あなたのような他人に通じるわけのない過大な自信を持ったひと、自分より明らかに学識の高いひとをそんなふうにけなすひと、そんなひとがベトナムのひとたちに教育者として迎えられているという事実を、私はたいへん恥ずかしく思います。
http://www2m.biglobe.ne.jp/~saigon/webforum/wforum.cgi?mode=allread&no=115&page=0

そこを訪問した駐在員のひとにも悪評高いみたいですね
Abeさま

アドバイスありがとうございます。ただ、JVCCの資料をすべてあたり、また直接連絡してみましたが、南洋学院に関する資料や調査資料は一切ないようです。日本語教育に関するレポートはありますけど、こんなもん作るのに税金使っているかと思うと、正直なさけなくなります。せめて現地にいるからこそかける報告、というものを残してほしいものです。

まあ、「学術研究」の基準がないからなんでもありなんですけどね。いちおうアリバイですかね。税金を使うことの。

それにしても、
> JVCCがあるにも関わらず〜

というのは、どういうことなんですかね。

別にJVCCは日本人が頼んで作ったものではないでしょうし、正直言って役に立っているとは到底思えません。
まさに「インチキ」な国際交流の権化みたいなもんですな。

それにNPO申請中だからといって求人を出してはいけない、という規則があるんでしょうかね。法人格など雇用契約を締結する上でなんら必要条件にはなりませんし、ましてやNPO法人なんざなんら信用度の担保にはならないことはあきらかです。
もちろん肩を持つ気は毛頭ありませんけど。

どっちにしてもこのスレとは関係ありませんね。
販売されてる書籍に限らず、日本の税金でやってるJVCC職員がまとめた
レポートがありますし、直接JVCCを訪問して、そのコピーをもらっても
いいんじゃないでしょうか。日本の税金でやってる学術研究なんだろう
からコピー代だけ、あなたが出せばくれると思いますけど。

あとJVCCがあるにも関わらず日本の左翼政党が、それとは別に団体を
作ってるようですが、団体としてNPO「申請中」だの、申請中なのに、
求人を出してるだのと、もうメチャメチャなインチキぶりがあっちこっ
ちで問題視されてます。そういう筋には、お関わりになりませんように。

それでは実地調査も頑張ってください。
>Anhさま

>そこまで事前情報調べてたら、後は自分の足で結果を稼ぐのも、重要なプロセスかとと思いまシュね! 

>日本語教えてる高校生連れて、アチコチ廻ってみるんも、良い教材にはなるね。現存すればが仮定ですが…

たしかに!素敵なアドバイスありがとうございます。高校生とフィールドワークしてみるのは、たしかにいい教材ですね!

 さっそく生徒たちに提案してみます!
そこまで事前情報調べてたら、後は自分の足で結果を稼ぐのも、重要なプロセスかとと思いまシュね! 

日本語教えてる高校生連れて、アチコチ廻ってみるんも、良い教材にはなるね。現存すればが仮定ですが…

>日本人数、1942年30名、1943年30名、1944年52名、

当時、同年代20歳ぐらいのサイゴン子だと、いま75歳の爺婆ですね。
亀山さんの著作によりますと、
南洋学院はいまはベトナム建設省ホーチミン部局の建物でペンタイン市場からチョロンに向かう旧ガリニエ通り(たぶんTran Hung Daoだと思われます)を西に2kmほどの右手。旧住所はショ・クワン98番地。
となっています。

いまのどのあたりなんでしょうか。

ちなみに
>キシ様
お申し出ありがとうございます。しかし当然の如く南洋学院に関する調査を始めた際に真っ先に購入しております。一般的入手可能な書籍は愛国少年漂流記とこの2冊しかないようでして。
このサイトの不文律である、できる限り自助努力(もちろんいたらないとは思いますが)で情報探索した上で、貴サイトに書き込みさせていただいております。
あしからず。

読むと分るけどホントこの当時の学生は勉強してる。
タダ単に俺が馬鹿だっただけかもしれないけど(笑

いい本ですから購読をお薦めします。
芙蓉書房出版HPに
  南洋学院
  戦時下ベトナムに作られた外地校
  亀山哲三著 
  四六判 324頁 2,243円 本体2,136円
とあり、ただしアマゾン等のNet Shop には 310Pと、…

多分今日本で流行の詐称問題ではないか。

Aさんは手元に無く、出版社の情報鵜呑み、クックック。
Kさんは手元で確認。

南洋学院の歴史はこのスレで知ったが、興味深い、
取り合えず、私は、愛国少年漂流記 を取り寄せ中。
どう計算しても裏表紙入れて315ページしかないな。
謎のページだ。
グリコのオマケみたいに付いてる本もあるんだろうね。
俺はハズレだった。
スイマセンが310ページまでしか無いんですけど。
カバーの裏にでもページあるんですか?

それに308ページ以降は卒業生とかの名簿だし。
明号作戦で死んだ生徒の記述とかあって結構参考になる本だよ。
外地学校の教育科目が一風変っていて面白い。

Anhさん324ページには何が書いてあるんですか?
実に良い話しだっ、良い本、お持ちでシュね!

で、読んだの 324頁?

まだなのね?
亀山哲三の『南洋学院』持ってるから貸してやろうか?
>Lan様

いま、南洋学院のことを調査しておりまして・・・・
ちなみにいま、HCM市内の高校で日本語授業を開設運営しております。

総合大は何年前だったか自然科学大と人文・社会科学大とに分離されました。
JVCCの平田というひとが経緯をまとめてますよ。ネット上にもあるはず。
Tran Hung Dao通りにあったと思いますが…。今もあるかどうかは分かりません。MISOさんはどうして場所を知りたいのですか?
皆様 貴重な情報をありがとうございます。

写真は当時の建物ではないんですね。

この写真の場所はホーチミン総合大学内なのでしょうか?
じぇも、アンナ建造物、見たことも ニャ〜いよ!

何処さ? 
写真は復活後のNam Hocです。

現存というのは間違い。現存という言い方だと、1940年代からのものが現存してると思っちゃいますよね。完全なミスです。
こちらでの話ですか?
http://namhoc.org/
日本人数、1942年30名、1943年30名、1944年52名、
あくる年閉校ですよね。

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