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旅の認識論

「あほー」をつぶすのに精力がそがれます。私のリストへの投稿と自説は分かりやすいのですね。
実感が伴っているから。すると、これにレスをつけやすい、やつけやすい。

いろいろいちゃもんをつけてくる。俺は組みしやすいとあなどる。(男でない)男の子が多い。
女の子さんたちのほうがかしこい。知らないことには口出ししない。(「おじい」とはいうけど)

私の文章はなるべく多くの人の目に触れ読まれるよう、やさしく書くようにしています。
すると、偉そうでなく判りにくくないから。馬鹿にしやすい。とくに、あんちゃんたちには。
分かりやすいと、分かると、ばかにする通弊がどこにでもある。世界共通に。
逆に、「あの人はとんでもなく偉い人に違いない。言っていることが何も分からないから」
(チェーホフ、だったかな)。これは人類の古典的な大問題です。

あいまい、晦渋に、反語表現でも記すと何か高級そうにおもわれる。たとえば、
31109 番にいたっては、以下のデータを書くな、何も分からないように書け、と明言している。

・行く場合の交通手段のデータ
・泊まる場合に参考になるホテルの名前、値段
・食事をする場合のデータ(レストラン・食堂の名前、何をいくらで食べたかなど)
・街の様子についての客観的記述

この人(222)は一体何のたぶらかしを企んでいるのであろうか。あるいは、狂人であろうか。
それらの旅行データがなかったらなにも分からないでないか!行くことも移動することも、一歩も動けないでないか。

では、