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「孤独感と不安感が好き」との文面がお気にさわったようでしたら
訂正(説明)させて頂きます。

前提条件として、(自己主観的に)受け入れられる程度範囲の、となります。

ちなみに西欧諸国の小奇麗なレベルのバックパッカー達も
多くは予約等はしていません。

といっても各国ユースホステルや安いホテルがあり
国によって数ドル十数ドルからとなります。
部屋がとれず、カウンターの前から別のホテルに電話したり
安いホテルなどをまわりそれでもとれない白人達と、
そのホテルはさっきいったけれどだめだった、
俺たちはこれからこちらに行ってみる、
電話はかけているがつながらない、といった事もありました。

東欧のとある街で夜までたっても暗くなっても泊まる場所がみつからず
外で朝まですごしてやろうか、と、疲れ果ててさらに雪まで降ってきて、
いや、これは寝たら本当に死ぬ、、、などと思った夜もありましたし
逆に無人と化したユース内でクリスマスイブに一人で過ごした夜もあり、
そこいら中をはしゃぎまわる大勢の白人達のなか
あの鎖橋を一人で泣きそうな孤独感の中、歩きました。

予想外はパリで、あそこは特定の期間、断続的に
安く泊まる場所がなかなか見つからない街でした(2004年)。

信じられないでしょうが、ある程度の範囲内ではあるでしょうが、
私は本当に、それが好き(またはそれを必要としている?)のです。

病的ですね。あきらかに一般的ではない事は自覚しています。

(といっても船でアフリカへわたりカサブランカをぬけてサハラへ行った時は
 さすがにシャレにならないので下調べと予約等を行いました。
 あそこではほんとうに簡単に殺されそうです。)

もちろん時間的余裕を持っている場合にしか出来ませんが
無計画も、失うモノのだいたいの想定と可能性だけ先に定めておけば
それはそれで悪くは無いのではないかと思いますがいかがでしょうか?

ネット情報も商業ベースの場合には過剰演出を含めて
情報の真実度合いをある程度予測できる場合がありますが
個人ベースの発信情報はそれなりに疑う必要があります。
その時またはそのヒトにとって事実でも
私にとっては異なる場合も、そもそも伝聞である場合も、多くあります。

最後になりましたが、レスというかたちをとらせて頂きましたが
読み物として多少でも誰かにこの文章を楽しんで頂ける部分がありましたら
幸いに存じます。