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女性たちを強姦した後、殺害
あくまで韓国メディア(ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256)の記事であり、同メディアの性質を考慮すれば鵜呑みにはできない。だが、その後の多数の韓国人による現地混血児の存在が確認されている。その要因として考え得る「強姦」について、当時の情報が少ない中で、しかし、参考にして差し支えない記事と判断し小稿に紹介する。同記事には、『韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる』と、特に、掃討作戦の様子を記しており、韓国軍の残虐行為を次のように概略している。

 このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は、 無差別機関銃乱射、 大量殺戮、 妊産婦、 女性に対する強姦殺害、 家屋への放火などだ。生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。

-住民たち(大部分が女性と老人、 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。
-子供の頭を割ったり首をはね、 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。
-女性を強姦した後、殺害して、 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。

韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.