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つづき 2012年02月14日 14:47
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
防空壕の中へ押し込めて化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上
させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では
3万5千人の人たちが死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられ、全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道も。
かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。
母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。
これは、韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに
『タイハン(大韓)の残虐行為を忘れまい』と碑を建て、残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。
なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、
それはアメリカが与えてくれた援助に対してのお返しであること。そして自分たち在越韓国軍こそが、
アジアの平定の役割を演ずることができることで、韓国国民に誇りと確信の感情を与えるため。
と、1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明している。
(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)

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