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仏教僧について

1: Gフォール 2008年04月10日 18:48 報告
チベット情勢を見ていてふと思いました。

ベトナムでも仏教僧が、独立・革命・統一の大きな力になっていたと思います。
ところがサイゴンの町を歩いていても、ほとんど僧の姿を見かけなかった気がします。

社会主義化で仏教が弾圧もしくは制限されているのでしょうか。

みんなのコメント 12

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Anh y Emチンから焼身自殺の話が出てたので過去にこういうこともあったんだってしっておいても良いと思う。
気高き焼身自殺↓
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=vU2ecuv5v0k
>『ホーチミン市よ、永遠に!』

これは、小生、間違ってたよね!

『故ホーチミン、氏の教えよ永遠に』、ぐらいが正確なる和訳だね!
>何世代か経ったら、すっかり忘れられるんでしょうね。


おそらく、現地の若い方々は、あまり歴史には、興味を持ちませんよニャ!
0.1%の人も、あの場での過去の出来事は、知らんだリョな?
(多くのVNの若者って、これからの自分達の未来にしか、興味を示さんニョよね!しかも、比較的、目先だけ…)

また、過去その時代に生きた方々も、あまり振り返ろうとはしませんのよニェ〜!

逆に、日本人観光客の方が、開高の文章を通じ、歴史の記憶に臨みたく、あの場所にも行き、ふと立ち止まり、考えたりする人、結構多いんでチュな? (ベンタイン市場から、数十メートルでチュしね。)

http://s-takita.blog.ocn.ne.jp/photos/vietnam/_050.html
右側の樹木は、当時の写真と同じみたいだよね? 
最近では、ゴタゴタの駐輪場も無くなり、その地点、何も無かった様に、
なおさらと、平然としておりますんやニャ!
開口健→開高健でした。
とおりすがりさん、ご指摘のサイト、大変わかりやすかったです。同じ仏教国のチベットやタイなどと風景があまりに違うので気になったんです。
Anhさん、その場所は旅行中、何度か通ったはずですが、そこがあの写真の場所だとは知りませんでした。
何世代か経ったら、すっかり忘れられるんでしょうね。
katuoさん、いい話をありがとう。



フエで僧侶たちが公安の車を燃やして大騒ぎしたことがありましたよね。...って誰も憶えてないかな?ベトナムのTVニュースで見た記憶もあります。

ベトナムの仏教についてはここ↓詳しくまとめてあります。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~vdg/book_buddism.html

これによればフエの騒動は93年と有りますね。
>全ては開口健の「ベトナム戦記」を読みながらチベットのニュースを見ていたために頭をよぎった疑問、もしくは疑念です。


当時を思い出すにしても、故開口が生涯忘れ切れなかったシーンの一つに、ベンタイン市場前のロータリー交差点脇も有れども。(ハムギ、レロイの間)
最近では、駐輪場として使われなくなったので、当時のベトコン公開処刑場跡地の歩道も、今は、ソコハカトナク、何も無かったように、人々は歩いておりまチュな! 
その直ぐ裏の、鉄道会社の建物に掛けられた赤色の看板に、VN語で書かれてるスローガン、皆チン、読んでまシュかな! 

『ホーチミン市よ、永遠に!』

だったかニャ?
ニャチャン郊外のEHアナマンダラ船乗り場近くに住んでいる兄弟ですが、
両親は他界、兄弟3人暮らしです。
長男は健康で働いていますが、次男は生まれつきの病気持ち、
下は娘で虚弱体質で働けず。
この次男、近年に地元のお寺の坊主になりました。
動機は、家には手術するお金もなく、坊主になればお寺のお金で手術できるからです。
坊主になってからすぐ手術を受けていました。
この辺りのお金持ちにも知り合いいますが、この家庭にお米の差し入れとかよくやっています。
皆優しいですよ。
社会主義=宗教弾圧と考えているわけではありません。
社会主義というのは経済のシステムだから、政治的・文化的にはいろんなバリエーションがあり得ると思います。

ただ、かつてはあれだけ活躍した僧侶たちの姿を、街中でほとんど見かけなかったのを思い出して、ひとつの可能性として連想したわけです。そのような連想をした根拠としては、

1)唯物論は宗教を否定している(そう認識している。間違っているかもしれないが)こと。
2)激しい反独裁運動をしていた僧侶自身が、共産勢力と手を組んだらいずれ裏切られるのではと警戒していた(というルポに触れた)こと。
3)ベトコンもほとんどが仏教徒だったという割には、僧の姿を見なかったこと。

…などです。

全ては開口健の「ベトナム戦記」を読みながらチベットのニュースを見ていたために頭をよぎった疑問、もしくは疑念です。

Anhさんの言うように、「平和だから目立たないだけ」が正解であることを願っています。
過去の政治的弾圧も、僧侶らの、それに対抗すべく焼身自殺など、もう古きことなんでチュ〜な〜。

サイゴンなんて街、みてますと、至るところに寺院が有りまチュな。しかも宗派などもキリがないほど。

僧侶が、街中を歩き、恵みを得らずとも、立派な生活が出来きる時代だね、寺院もどんどんカラフルに建て替えられ、熱心に参られる信者さんたちも、比較的余裕があり、リッチな層だと思いまチュな!

数週間前、Nha Be方向への市バスの中にて、地方からやってきた修行僧を見かけましたニェ! 煩悩のない顔付きでしたニャ〜!
社会主義化を、仏教を弾圧もしくは制限と、イコールとお考えな理由をお聞かせください。

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